ミヤモト家具の本社本店は、
富山市の古い商店街の真ん中にある。
通称、「千石町商店街」と呼ばれる、古い商店街の通り沿いに位置する。
ひと昔まえ、
いわゆる、すぐ近くの、西町や総曲輪通りが全盛期の、
20年ほど前になるやろうか?
間違いなく私の10代くらいまでは、
ホントにですね、
今の富山の、ファボーレやイオンほど、
ヒトで溢れかえっていた時代もあった!(いやホントですよ!笑)
おそらく、今の20代は、全くもって信じがたいコトと思うが、
郊外にヒトが行くようになってしまった。そのトドメとなった出来事は、
間違いなく富山市の婦中町に、
ファボーレが出来たことだ。あれが2000年の出来事だ。
私が会社を設立したころは、
西町や総曲輪通りは、まるで終焉間近のよう。
そして当然のことながら、
その近くにある商店街。千石町通りが、
週末ヒトで賑わうといった事はなかった。
ミヤモト家具は、決して良い立地条件の場所にいないのは分かっているものの、
実はその隣に、いつも温かいヒトで賑わう、
一平飯店という、創業1968年(昭和43年)に開店した、
中華料理店がある事をご存知だろうか?
ワタクシの、ソウルフードを作る名店だ!笑
オヤジさんが作る、ボリューム満点の中華料理。
安すぎやろと思う価格設定。
そしてそれを受け継いだ、二代目のマーちゃんは、
私のひとつ、いや、ふたつやったっけな?年下である。
マーちゃんが店を継いだ時は、
「オヤジさんの腕前と比べると、マーちゃんはまだまだだな」
なんて言われながらも、その後立派にその意思を受け継ぎ、
今もこの千石町商店街で、知る人ぞ知る、中華料理の名店であり続けている。
2日前になりましたかね・・・
創業者であるオヤジさんが亡くなった。
私は仕事中。いつも通り、気丈にふるまっているものの、
内心、実は悲しくて悲しくて仕方がない・・・。
オジサンは、ホントに優しいヒトだった。
子供の頃と変わらず、今の今までも、私が店に入ると、
「お~!トヨ君!久しぶりやね!」
なんて、SOLIDやLOWVEの開店で忙しかった、ここ2、3年。
そんなふうに、いつも笑顔で声をかけてくれた。
私が会社をし始めて、一番しんどかった2000年~2005年。
よく一人で夜中まで仕事をしていると、
差し入れを持ってきてくれたオヤジさん。
店に来るお客様から、私の良い噂を聞こうものなら、
我が子のように喜んで私に話をしてくれた。
昨日、私は通夜に出掛けた。
妻も一緒だったが、オジサンの写真の前に立ち止まり、
それを眺めていると、
ある日の事を思い出す。
私の10代の頃に死んだオヤジは、
そない良い人間でもなかったし、
近所の人からも、あまり良いコトを言われたためしがない。
「お前のオヤジは、昼間っからパチンコに行ったり、囲碁をしたり、自由奔放なオヤジだったわな」
とか、
「仕事もせずに、青年会議所の友達と、しょっちゅう桜木町で遊んでいたわな」
と言われたり・・・。(それがキッカケで、今も商工会議所と青年会議所には入らないと決めている!笑)
まぁ、そんなに良くないオヤジだったというコトは、
私が一番よく知ってはいるし、
仕事熱心とは、お世辞にも言えなかったオヤジに対して、
なんか反抗心と言えば良いのか、
社会人になりたての頃は、
オヤジみたいになるもんかと、誰よりも必死で働いていたものだ。
オヤジのコトを、良い風に言われないばかりに、
商店街の方との付き合いが、億劫になったこともある。
そんなある日の、商店街のお祭り打ち上げの日だったと思う。
場所は一平飯店。
あまり乗り気じゃなかった自分を、知ってか知らずか?
オジサンが、私の隣に座り、賑やかな店内で、お酒を飲みながら、私に、こんな話をし始めた。
「トヨ君。トヨ君のお父さんはネ。本当にいい男だった。
千石町で店をし始めた頃に、手伝ってくれたり、お客さんを連れてきてくれたりしてね。俺ね。沢山思い出があるんだよ。
大きな体で優しくてね。
俺はネ。トヨ君のお父さんが大好きだった」
それを聞いて、嬉しくて嬉しくて涙が溢れた。
なぜなら、近所でオヤジのコトを褒めるようなヒトを見たのは、後にも先にも初めてだったから。
自分自身さえも、オヤジは反面教師と思っていたし・・・
しかしなんでかな。。。
それが親子というものなのか。。。
オジサンがうちのオヤジを褒めてくれて、
私は何だか、とても嬉しかった。
通夜の日。
オジサンの写真を眺めながら、またその日のコトを思い出した。
涙がとめどなく溢れてくる。
私は早くに父親を亡くしたからか、
あの日から
何だかオジサンと話したりするのが楽しくて、
マーちゃんには失礼な話だけど、
チョットだけ、オジサンのコトを、お父さんのように思っていたのかもしれない。
ミヤモト家具が発展していくのを、
「とよくん!いつも忙しいね~~」
なんて言って、喜んでくれたオジサン。
若い頃、私がひとり。ミヤモト家具の店内で夜中まで働いていると、私の体を気遣ってくれたオジサン。
ここ6年ほどかな…
特にオバサンが亡くなってから心なしか元気もなく、
急にやせ細っちゃって、体の調子が悪いことは知っていたけど・・・。
息子二人を、不自由なく育てあげて、これまで一生懸命働いてきましたから・・・
オジサン。
どうかゆっくり、オバサンと天国で休んでください。
でもネ。。。正直言って・・・
俺、また、オジサンとオバサンが作ってくれる、
中華丼と餃子が食べたいです・・・
お疲れ様でした。
それから、幼い時から、ずっと見ていてくれて…
俺のオヤジのことまで褒めてくれて…
本当に・・・ありがとう。。。
富山市民に愛された、中華の名店。一平飯店の偉大なる創業者。
彼もまた、私の ‟大切なヒト” である(*^-^*)
株式会社ミヤモト家具
https://www.miyamoto-kagu.net/corp/
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
https://www.miyamoto-kagu.net
Vintage Factory
https://www.vintagefactory.jp
Interior Proshop LOWVE
https://www.kagu-lowve.jp
SOLID FURNITURE STORE
https://www.solid-furniture.jp
代表取締役 宮本 豊彰
宮本社長。ブログ、本気で泣けました。私も一平さんにはいつも昼食でお世話になっていましたので、三人ともよく知っていたので残念です。宮本社長の温かさに、きっと天国で喜んでいるものと願います。宮本社長の人柄が溢れる、良いお話でした。また家具も買いに行きます。富山でこれだけ素敵なブログが書けるのは、宮本さんだけだと思います。ありがとうございました。
宮本さん。ご無沙汰しております。小林です。友人からの噂を聞きつけて、このブログに辿りつきましたよ笑 早速、いい話を聞かせてもらいました。宮本さんのお父様。懐かしいです。ホームページも拝見し、多店舗展開に工場の設立。ご苦労されてこられたんですね。私の会社に宮本さんのブログのファン、ミヤモト家具のファンという方が大勢おります。ブログもさかのぼって拝見いたしました。宮本さんの人柄が、社風に反映されているようです。一平飯店のおじ様。素敵な方でしたね。ブログを見て、温かい気持ちにさせられました。また宮本さんにお逢いできるのを、楽しみにしております。