日本のプロ野球ファンの皆さま!
おめでとうございます!!!(^O^)/
わたくし・・・日本プロ野球界をこよなく愛し・・・
長嶋茂雄を弊社の社員と並ぶほどに…
心から尊敬しております私としましては!( ̄▽ ̄)!
『おいっ!とよあき!おまえ卒園式に出ている間に・・・
とんだ「ヘタレ」になっちまったな!( ̄▽ ̄)!』
と思われるのも、大変しゃくでございますので・・・
本日は今回のWBCについて!!!
ワタクシの見解をご紹介させて頂きたいと思う!!!←その情報は必要かっ!( ̄▽ ̄)!笑
はい。。。
というコトで早速!
まず始めにひとつ言いたい事がですね。。。
今回のMVPが大谷選手というコトでしたが、
当然、彼抜きでは優勝は考えにくかったことは、
百も2百も3百も1千も承知であることを大前提に!
但しですね・・・
もう…いくら何でも流石に今回のMVPこそ・・・
栗山監督じゃないの?( ̄▽ ̄)?
っていうのが、まずはわたくしの見解です( ̄▽ ̄)
正直、今回の栗山監督は神がかっていた。
私が栗山監督こそMVPであったと思う理由は以下の通りです。
1.目標設定が明確だった!=優勝!以上!
2.選び抜いたメンバーを信頼し切って心中する覚悟を感じた!
3.対戦相手(ライバル)の戦力分析が完璧だった!
4.百戦錬磨の戦略と、戦術を組み立てが完璧だった!
5.選手の適材適所を考えぬいた長所伸展!【特に準決勝の周東選手と村上選手】
6.勝つための判断、決断を、勇気をもって繰り返した!
そして何と言っても世界一となった要因の最後、
7番目は・・・
メンバーの人選が完璧だった!特にヌートバー【日本名:榎田 達治(通称たちゃん!)】
日本人のプロ野球ファンで、彼を嫌いな人いないでしょう?( ̄▽ ̄)?
いや・・・もし万が一いたらですね・・・
『ん?おなかでも減っているの?( ̄▽ ̄)?』
と聞いてやりたい!( ̄▽ ̄)!
まさに・・・世界一に挑む「侍ジャパン」に、
新風を吹き込んだのが、
バリバリの大リーグで、昨年、頭角を現しつつあった・・・
ラーズ・ヌートバー選手(たっちゃん!)であったのではなかろうか?
日系人選手として、栗山監督のサプライズ選出だった。
きっとそれまで、誰しも、ヌートバー選手が、
日本代表に選ばれるなんて、
予想した人もいなかったに違いない。(そもそもその資格があったのか?と、私なんかは仰天した!)
彼は、米国人の父、チャーリーさんと
埼玉県東松山市出身の母、久美子さんの次男で、
ロサンゼルス近郊で生まれ育った。
日本語はほとんど話せないが、
箸を使って納豆やみそ汁を食べる。好物はギョーザだ。
野球経験がある父や兄の影響で競技を始めたのは、5歳の頃だった。
学校から帰ると庭に飛び出し、
高校までソフトボール選手だった母を相手に打撃練習。
自宅の駐車場の壁に向かってボールを投げ続けた。
日の丸を背負うのは当然、今大会が初めてだが、
10歳で米国の地元選抜チームの一員になった時には、
こう自己紹介して母を驚かせたという。。。
「僕は日本人です。日本を代表してここにいます!」
・・・・・。
泣いたろうか!( ̄▽ ̄)!ホンマに!(ToT)/~~~
母の久美子さんは
「私が日本人だから、自分もそうだと思っていたのかもしれない。
あの時は、まさか本当に日本代表になるなんて思いもしなかった」
と言って笑った。
高校まではアメリカンフットボールとの「二刀流」で活躍し、
アメフトでも複数の大学から誘われたヌートバー選手。
進学後は野球に専念し、類まれなる才能を見いだされ、
大リーグのカージナルスに入団した。
右投げ左打ちの走攻守そろった外野手で、昨季は14本塁打を放っている。
母が日本人であることから、
WBCの出場資格を得たヌートバー選手は、
日本代表に名を連ねた初の日系選手となった。
ミドルネームは・・・
「テイラー・タツジ」
で、祖父の榎田達治さんの名が由来だ。
日本が好きで、試合で使うグラブにはローマ字で
「Tatsuji」
と縫い取った。
チームに合流すると、仲間たちは練習で・・・
「たっちゃん」と書かれたTシャツを皆で着用。
ミドルネームにちなんだ歓迎の計らいに、ヌートバー選手は大喜びして、それを着込んだ。
東松山市に住む達治さんは幼い頃、
遊びに来る度に、
「おじいちゃん…ぼく帰りたくない…」
と、泣いた孫の姿が忘れられないという。
そんな達治さんは、続けてこういった。
「ラーズ君が日の丸のユニホームを着ることを誇らしく思う。
ホームランをたくさん打ち、侍ジャパンの優勝に貢献してほしいです。
野球で日米の絆を深める役割を担ってくれればうれしい」
と言って、活躍を願った。
また、ヌートバーの家族と言えば、彼がまだ幼い頃、
日本の高校野球児(高校の日本代表選手)を、
ホストファミリーとして受け入れていたことも、
今回の彼の活躍によって、各所で明らかにされた。
そんな、ヌートバーの幼い頃を知る、
元高校球児たちもエールを送る。
時は2006年と言えば、もしかして?と思う人も多いだろう。。。
その年の夏の甲子園を沸かせたのは、知る人ぞ知る・・・
田中将大選手(現東北楽天ゴールデンイーグルス)や、
斎藤佑樹選手の世代だ。
高校全日本選抜が米国に遠征した際、ヌートバー家は、
ホストファミリーとして、選手たちを受け入れた。
そして、そこで泊まったのは、こちらも当時、
有名な高校野球児だった、
船橋悠さんと塩沢佑太さん。
8歳のヌートバー選手と海で遊び、時には一緒に素振りをした。
ヌートバー選手は試合前後の練習にも参加し、
ほかの球児たちからも、人懐っこい笑顔で、他の選手皆から可愛がられていたという。
現在、東京ガスで働いている塩沢さんは、今回の取材でこう話していたのが印象的だった。
「彼は優しくて明るい子だった。
英語ができない自分にも遠慮なく話しかけてきてくれた」
と振り返り、人材会社を起業した船橋さんも
「愛想が良くて、人の懐に飛び込むのがとてもうまく、本当にいい子だった」
と懐かしむ。
日本の球児が帽子のつばを深く曲げてかぶっているのを見て、
まねするようになったヌートバー選手。
あどけなかった少年は、身長1メートル91、体重95キロに成長し、
満を持して・・・世界一奪還を目指す侍ジャパンに名を連ねた。
船橋さんは今でも、ヌートバー選手からもらった手紙を大切に保管しているそうだ。
米国遠征から帰国後、アルバムとともに届いたその手紙。
そこには・・・英語でこう記されていたという。
「また会える日を楽しみにしています」
そして、船橋さんは、今回の取材で、続けてこう話している。
「米国代表ではなく、あの時の僕らと同じ
日本代表になったことに不思議な縁を感じる。
当時のメンバーが・・・
みんなラーズ君を応援していることを知ってほしい」
と話したということだ。
初めて代表入りを果たし、それも日本の代表だったというコトで、
家族は
「日米の球界の橋渡し役に」
と期待を寄せたヌートバー選手は・・・
もはやこれ以降の説明は不要だろう。。。。
彼は日本代表の一員として・・・
皆に愛され
仲間となり・・・
時に「君が代」を練習しては、
「ニッポン!ダイスキ!」
と叫んだヌートバー。
もはや・・・
今思えば・・・
結果は約束されていたのかもしれない。。。。
彼は、
日本代表、
不動の1番打者として。
全試合にスタメン出場し・・・
そして当然の如く・・・
日本代表選手として躍動したのだ!
もうね・・・
ここまで来たら仕方ないだろう・・・
ラーズ・ヌートバー
日本名 えのきだ 達治!(通称たっちゃん!)
・・・・・・。
しゃーないな!!!
喜んでファンになってやろう!!!←何様だ!( ̄▽ ̄)!
(ミスター長嶋茂雄と松井秀喜の次やけどな!( ̄▽ ̄)!笑)
すいません。。。。
ここまで、思いのたけを書き綴ったせいか・・・
10分ほどで書き上げはしたものの・・・
興奮して趣旨を忘れました!( ̄▽ ̄)!
そういや栗山監督の話だったな。。。ほんとは!( ̄▽ ̄)!
まぁでも、
栗山監督じゃ無かったら、
彼を日本代表で呼ぶことも、
スタメンで1番打者に抜擢することも、
きっとなかっただろうな。。。
私個人、戦略の立て方という部分において
本当に良い勉強になりました・・・
栗山監督の、まさに適材適所で、
「役割」に人を配置した見事な戦略に
こころから賛辞を贈りたい。
本日は、
「栗山監督の戦略に感動した!」
と題してお送りさせて頂きました。
本日も最後までご覧いただき、本当に有難うございました!
次回は真面目なブログを書きますので!( ̄▽ ̄)!
どうかお許し頂けましたら幸いです(笑)
明日も皆様にとって、笑顔溢れる、最高の1日になるコトを
心より願いまして・・・
それでは皆さま
きょうも笑顔で
ごきげんよう(*^-^*)
株式会社ミヤモト家具
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代表取締役 宮本 豊彰