こんばんわ。
オーナーの宮本です(*^-^*)
きょう、
今から書こうとしているブログは、
正直・・・、今、本当に書き記しておくべきなのか?
随分と迷いましたが (正直言うと今も迷っておりますが…)
とは言え・・・
ミヤモト家具の歴史に、その名を刻む仕事をしたという点において、
私はそこに敬意を示す意味においても、
ここに書き記しておくべきだと思いました。。。
ここまでして、何の話かと申しますと・・・
タカシマの件でございます。
今頃、京都にいる頃だと思いますが、
何故に京都かと申しますと、
本人的には「結婚」という形には拘らないという事ですが
とは言え、ひらたく世間で言うと…
「嫁ぎに行った」
というヤツです(*^-^*)
ちなみにタカシマが、このミヤモト家具で、
「何を成し遂げたのか?」
と申しますと…
彼女が最後の1年に所属していた
「レンタル:コーディネート事業部」を
産休前の高柳部長からバトンを受け取り、躍進させたこと。
そしてそのバトンを、産休後に帰ってきた高柳部長と孝太郎に、
しっかりと繋いでくれたと言うこと。
そしてもう1つ重要なコトが・・・
この、RENSEYのロゴマークを、我々に託し、
そしてそのバトンを、我々のほか、後世に繋ぐ働きをしてくれたと言うコトであると思う。
当然のコトながら、私にとっちゃ、
今現在、共に働いてくれている仲間が、誰よりも大事で、誰よりも大切な人であると言うのは、
間違えの無い事実ですので。
理由は如何にしても、辞めた社員のコトをブログで書くのはナンセンスだと思っているし、
今もその気持ちは変わりません。
ただですね・・・
会社に迷惑を掛けたくないからと
「有休消化なんていらない」とか?(そんなコトできるはずね~だろ…( ̄▽ ̄)…)
そんな訳の分からんことまで言い出すし、
最後の1日まで、一切手を抜かず、会社にとって「財産」となるものまでをも残し、
後ろ髪を引かれながらも…京都に旅立ったタカシマに。。。
こう言っては何ですが・・・
私は、大きな「借り」を、作ってしまったな…と思っている。
そこで、タカシマはタカシマで、当然私の性格は分かっているとは思うものの、
わたくし…、借りた恩は、仮に何年掛かったとしても、
必ず返し切る。
そんな執念深い性格をしておりますで、
そこね。。。忘れないでいて欲しいなと思っています。
RENSEYは御存じの方も多いのかと思いますが、
2021年、11月12日にオープンした。
写真は当時のオープニングメンバーで、
そもそもの構想は、2018年7月末からの時点でしたので、
実に計画から3年の歳月を経てオープンしたという訳だ。
タカシマが入社したのが、2019年の4月1日ですので、
よって、入社面接をしていたのは、4年前の2019年2月ごろ。
肌寒いの冬の季節であったと思う。
学生時代に、早く富山から離れたいと、県外の有名私大に進学し、
県外で社会人となったタカシマは、
そこで満を持して挑戦したイタリアンの店を開業するも、あえなく廃業。
そして泣く泣く、嫌いな富山に戻ってきた、出戻りの富山県民。
そんな彼女は面接時。
「ミヤモト家具が、更に県外に進出していく際。そこに自分が携わり、また富山を離れてリベンジしたい!」
とか言い出すもんだから、わたくし・・・
最初に初めて会った面接中にも関わらず・・・
「お前なんて要らない。そもそも最初から富山を好きになれない奴が、
地元を愛し、富山で豊かな生活をしたいと思っていらっしゃる、
そんなお客様の幸せに貢献できる人材になれるとは思えない。
出直してくるか。或いは他の職場を探してこい」
と言いました。(いま振り返って思い出しますが、ホントに1語1句、このまんまのセリフを言った笑)
タカシマはそれを聞いて、何も言えず…泣きながら帰っていきました。
私はSOLID金沢をオープンする直前に。
富山から息子を連れて、電車に揺られながら、SOLID金沢に行ったコトがあった。
その時に・・・
これからはもっと金沢のコトを知って、
金沢のヒトのコトを好きになろう。
そうしたら・・・、
きっと富山出身企業だとしても、
石川県や金沢のヒトから、受け入れてもらえるはずだから。
そう思って、石川県は金沢に、ミヤモト家具としては初の店舗を出店致しました。
そんなコトを想っていた日から、タカシマの面接までが、
割と日が浅かったと言うこともあり、
とっさに…そんな説教じみたコトを言ってしまったのだと思う。
でもですね。
普通のヒトなら・・・
急に面接で説教される!( ̄▽ ̄)!
「こんな会社なんて入社するものか!」
と、思われて当然だと思いますが…(自分が同じ立場ならそう思う笑)
ただ…、タカシマは違った。
当時、SOLID金沢のオープニングメンバーでした、
澤田駿、中村友香、江端萌の3人を訪ねて
足場の悪い冬のさなか。
「面接で図星を突かれて泣いてしまった。
どうすれば、ミヤモト家具に入社できるのか?」
これを聴く為だけに、金沢の店舗に行ったらしい。
そこで・・・
泣いてからが勝負だ!的な(笑)、
3人から訳の分からないアドバイスを受けたタカシマは!( ̄▽ ̄)!
それを真に受け、再度、
「面接を受けさせて欲しい」
と言って、ミヤモト家具にやってきた。
2度目の彼女は、明らかに、覚悟を決めた表情でした。
そうして、ミヤモト家具の門を叩き、新たな仲間として、迎い入れられた彼女は、
そこから、少し、くすぶっていた時期や、
自分自身の不甲斐なさによるモチベーションの低下も乗り越えて
彼女はある事をキッカケに覚醒する。
それは紛れもなく・・・
あの日の出来事であったと思う。
時は2019年10月11日。
九州は佐賀県で、アカセの白波瀬さんと戸見山さん、そして私とタカシマ。
そんな4人で、随分と深夜遅くまで飲み明かした時があった。
その時に話したのは、
2000年代初頭の藤井社長との出逢いの話や、
そこから、白波瀬さんと今回の新規事業(のちのRENSEY)に掛ける想いを語り合った時、
その想いの深さに、
タカシマを除く3人が、グダグダに泣きながら話している現場を横目に、
偶然とはいえ居合わせたタカシマは・・・
「私も次の新規事業に携わりたい!」
と言ってきた。
私の返事は開口一番。
「よし!やるぞ!!!」
こうして、里庄駅から金沢に続く、長いレールが引かれた。
そこからの彼女は、本当にヤル気に満ち溢れていた。
そして私は、
この沢山の人の想いが詰まった、新しい新規事業の名前。
ブランド名を、何にするかを検討をする段階に入る。
2020年5月。
ここに、トータル合計すると、何十時間掛けただろうか?
もはや寝る間際まで、自分が愛着を持てる名前にしたいと考え、
風呂に入って考えては、良いアイデアが思い浮かぶと
びしょ濡れになりながら(笑)、浴槽から出ては携帯にメモり!( ̄▽ ̄)!
眠りに就こうとする間際に、これまた良いアイデアが浮かぶと、
眠くて意識がもうろうとする中(笑)
ヌクッと起きては、携帯にメモするを繰り返した。
こうして、「RENSEY」のブランド名は出来上がった!
きょうは、このブログを書くにあたり、
当時、私が何十時間も掛けて考えた、その名前の由来を、
今、改めて読み直してみたのだが、
なんと言うか・・・
その時に記載された内容が、何処か?今のタカシマの人生にも重なってしまう。
それが以下の内容だ。
名前に「RENSEY」と名付けたが、この言葉の由来は、漢字にしてイメージした際の、
「蓮晟(レンセイ)」という言葉の意味に含まれている。
「蓮(レン)」には、蓮(はす)の花言葉でもある、「清らかな心」をイメージした。
この花言葉の意味は、はすが泥水の中から生まれ、時間をかけて水辺に浮かんだ時に、
気高く、そして清らかな花を咲かせることに由来すると言われている。
「晟(セイ)」には、「明るく光り輝く」という意味があり、
その二つの言葉の意味を繋ぎ合わせ、名付けられたオリジナル家具が「蓮晟(レンセイ)」です。
最初は泥臭くとも、常に前を向いて、清らかな心を持ち続けながら、
いつかは地域に根付き、気品高く、そして明るく光り輝くような、
そんな清く美しい花を咲かせたいという想いを、この名前に込めました。
また、「蓮晟」という言葉にふさわしくなるようにと、家具としての佇まいやプロポーション、
そして、ひとつ一つのディティールに至るまで、これまで弊社が歩んで来た経験と、
めい一杯の拘りを、このシリーズに詰め込みました。
無垢材家具としての力強さも持ち合わせながら、ハードになり過ぎず、
また職人の技が主張し過ぎるようなデザインであってもならない。
「RENSEY」が目指したもの。
それは、洋家具でありながらも、何処か日本的な要素も取り入れながら、
女性的な優しいフォルムと、気品高く、どことなく凛としているかのような、
落ち着きのある上品な家具に仕上げることでした。
いつの日か。
お使い頂く皆様のもとで、月日を重ねるたびに、明るく美しく、また気高く咲き誇るような、
そのようなシリーズになればという私達の願いを込めて。
そしてタカシマは、あの日あの時、あの現場にいた私と白波瀬さんの想いを汲み取り、
彼女はこのロゴを制作した。
説明すると長くなるので割愛するが、意図は深い。
このライン、この曲線のひとつ一つに、明確な意味を持たせたロゴマークに、
私は心の底から共感した。
「タカシマ!このロゴ…めちゃめちゃイイぞ!!! 」
そして時は流れ、いよいよ2021年11月12日。
RENSEY金澤はオープンした。
しかしながら・・・
実はそこに、タカシマの姿はなかった。
ロゴマークが出来てからの1年で、彼女は父親と祖父を亡くし、
富山に残るコトを余儀なくされた。
それから、「いつかはRENSEYで」という想いを馳せ、
レンタル・コーディネート事業部に配属されたタカシマは。
残された母親との生活が安定したあと、RENSEYに満を持して配属されるべく、
現部署で驚くべき実績を残し続けた。
そして、約束の1年を終えそうになった終盤。
RENSEYでの異動を心待ちにし、私に何度も話をしていた彼女は、
この絶妙なタイミングでのプロポーズを受けまして(笑)
今に至ったという訳です(*^-^*)
「自身が幸せになるチャンスなんだから、迷う必要なんてない」
私はそう言いました。
たかしま。
このブログを読んでくれるのか分かりませんが・・・
いろいろ世話になったな。。。
在職中は文句は言えど、褒めもしないし、
かしこまって言うのも何だから…言えませんでしたけど・・・
本当にありがとう。
あの日、面接で追い返されてもなお、
腐らず、戻って来てくれたタカシマを、
わたくし…心の底から誇りに思います。
30代も後半からの挑戦だった。
ミヤモト家具に来る以前から、何度も挫折を乗り越えた。
面接時、履歴書を見た私が、
「お前のイイ所なんてココだけだ」
と言って、自身で一生懸命にやった店舗を、1件潰してきた経歴を褒めた。
どんな辛い時も、必ず見てくれたヒトがいる。
どんな時にも、ずっと応援してくれたヒトもいる。
どんなにつまづこうとも、肩を貸してくれたヒトがいる。
自分の成長を、心から喜び、そして勇気をくれたヒトがいる。
京都で、清く美しい、蓮の花を咲かせるのも良いだろう。
オールドルーキー 高島 絵理
彼女もまた、
私の、「大切なヒト」である(*^-^*)
株式会社ミヤモト家具
https://www.miyamoto-kagu.net/corp/
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
https://www.miyamoto-kagu.net
Interior Proshop LOWVE
https://www.kagu-lowve.jp
SOLID FURNITURE STORE TOYAMA
https://www.solid-furniture.jp
SOLID FURNITURE STORE KANAZAWA
https://kanazawa.solid-furniture.jp/
Vintage Factory
https://www.vintagefactory.jp
RENSEY金澤本店
https://rensey.jp
代表取締役 宮本 豊彰