株式会社ミヤモト家具代表取締役 宮本豊彰のブログ

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宮本 辰彦という男

2017年12月31日。

毎月10回の、ブログ更新を目標に致しまして、

きょうで今年も120回。最後のブログとなりました。

 

まぁ言っても、昨日が締めのような内容にしてしまった為、

きょうは何について書こうか、夕方、車に乗りながら考えておったわけですが…。

 

2017年。個人的にもいろいろあった、節目の年という事もありますし、

私自身、これまではどうしても落ち着いた気持ちでお話しする自信が無く、

意図して、あまり触れてこなかったコトを、

きょうは、なんとなくですが、お話ししたいと思う。

 

何かと申しますと、

 

私の十代の頃に亡くなった、父親の話。

 

まぁ、身内ですからね。

誰かに聞いてもらいたいと言う気持ちは当然無く、

自分自身が、

このことについて、ようやく整理出来たような気がしたから。

この度、落ち着いてパソコンの前に座りました。

 

そりゃですね。

24年も前のお話しですから。

 

私のコトは、

ご存知の方もいるのかもと思いますが、

私は、弊社の前身であります、個人商店である、

宮本タンス店を創業した爺さんはおろか、

父親ですら共に働いたことも無く、

会社を設立した当初は、私とアルバイトのふたりでやり始め、

よって当然に、

私より社歴の長い社員は、昔も今も存在せず、

少し変わった経歴の持ち主だったのかもわかりません。

 

正直、

創業70年とは言っておりますが、

その言い方で本当に正しいのか?

歴史があるというのは、それだけでお客様にとっては「信用」と思いますから、

ほんまもんの、創業70年と言える企業さんと比較すると、

少し、恥ずかしいと言うか・・・

言うても、会社設立から数えると、そう歴史が深いわけでもなく、

本当に70年も80年も続く、老舗と言われる企業の社長さんと比べられると、

うちのスタッフはおろか、私を入れたとしても、

特段、何十年とやってきた実績すらあるわけでもない。

私自身がそう思っておりましたから。

若干、肩身の狭い思いもしてきたことは事実です。

 

 

あの日。。。

 

 

時は1994年。

最初に母親から電話があり、

何を喋っているのか聞き取れない程の、

か細く、泣きじゃくった声で、

 

「とよあき。。。お父さんが、お父さんが死んだ。」

 

と聞いて、

当時はあまりに突然で、状況が全くつかめず、

子供とはいえ人生初のパニックに襲われた。

 

慌ててタンス屋の実家に戻ると、

母親がもはや立っているのも精一杯の状況で、

店の中央で泣き崩れているのを見た時に、

その時初めて

今起きている状況を把握し、

そんな母親の姿を見た私はひとり、

その場で怖くなって立ちすくみました。

 

 

 

前身宮本タンス店!個人商店の星になる! 宮本辰彦の死去

 

 

 

今から、およそ24年も前のお話です。

 

元々、見た目は元気の良さそうなオヤジでしたが、

若い頃に腎臓を悪くしたせいで、

毎月、かかり付けの病院に、透析に行っていたものの、

私や母親からすると、

あまりに突然の出来事だった。

 

朝、起きてこないから見に行くと、

息を引き取っていたという、

老人にはありえるのだろうけど、

オヤジもまだまだ40代も半ばで。

まさか。。。といった状況下であったと思います。

 

あの日の出来事は、

すでにタンス屋としては衰退し、

店としてもやっとのコトで息をしていた当時の状況下からすると、

まさに追い打ちをかけられたような出来事だった。

 

今思うと、あの時が、その後長く続くコトとなった、

暗黒時代(地獄のような状況)の、始まりだったのではと思います。

 

私の子供の頃。

 

 

 

前身宮本タンス店 宮本辰彦

 

 

 

オヤジは、とにかく恐かったし、私にとっては偉大な父親でした。

反抗するなんてことは想像もできなかったし、

かといって、恐いだけでもなく、

 

 

 

前身宮本タンス店 宮本辰彦 3

 

 

 

小学校の頃は、不思議と商売をしている家柄なのに、

よくよく遊びに連れて行ってもらったという記憶もある。

その時は何とも思わなかったのだが、

私が中学、高校生にもなり、それなりに生意気になってしまったせいか、

当時、タンス屋のほうも大変だったのにも関わらず、

 

「何でうちのオヤジはまともに働いていないんだ」

 

と、思うようになってしまい、

私は全く、オヤジに対しての尊敬の念というものは、

持ち合わせておりませんでした。

 

初めて反抗したのも、私が高校生の頃で、

 

「オカシイだろ!父さんは何もしてね~じゃねえか!」

 

と、何かの拍子で、そんなコトを言ってしまい、

オヤジはそんな自分の態度に、随分と驚いていた。

私は家から飛び出して。

それから、まともに夜も帰らず、会話もしなくなって数日たった頃だったと思う。

こんな出来事があった。

 

 

夜中、

いつも通り台所に入ることも、顔も見せることもなく、

部屋に戻ろうとすると、台所の扉の向こうで、

オヤジと母親の声が聞こえてきた。

母親が、

 

 

「あの子はこの先、どうなっていくんだろう。。。大丈夫やろうか。。。」

 

 

といった、独り言のような小言に、父親が扉越しで、

こんな話をしていたのを聞いてしまった。

 

 

「とよあきは大丈夫だ。あいつは芯がしっかりしているし、何よりも優しい男だ」

 

 

そしてその言葉のあと、扉の向こうで話す父親のセリフに、

私はビックリし、立ちすくんでしまった日のコトを、

どうしても忘れることが出来なかった。

 

 

 

「とよあきは、俺の自慢の息子だ」

 

 

 

うちのオヤジが死んだのは、

それからしばらく経ってからのコト。

私はオヤジが死んだあと、

その時の言葉ばかりが頭の中でリピートし、

涙が止まらなかったし、

ただただ、

あの日のコトを後悔し続けた。

 

あの時、

 

私は当然、オヤジとも母とも言葉を交わすことなく、

自分の部屋にコッソリ戻っていったと記憶している。

 

私には当時、「悲しさ」だけが残り・・・

 

その後、安定したサラリーマン生活を捨ててまで、

ミヤモト家具として再出発しよう!と決めた背景に、

実はあの日の出来事があり、父親のコトをあまりよく知らなかった私は、

ミヤモト家具をやれば、オヤジのコトが、いつか分かるようになるのかもと思った。

オヤジのコトを知っている人たちからは、いろいろなコトを聞かされた。

 

「お前のオヤジはデカい体で、仕事もせず、よく遊んでばかりいた」

 

そんなようなことも私に話す知人もいたし、

何だか言われると悔しいような・・・

ただ、何か言い返せるほど、

本当の所はよく分からなかったんですよね。。。

 

 

私は今年で42になり、オヤジが死んだ時ほどの年齢に近づいた。

今振り返ると、

きっとオヤジは、働きたくなくて、働いていなかったわけでなく、

病気持ちで、自分が理想とするように、体を動かすことが出来なかったのだと思う。

なのに・・・

そんな私は、何も分からず、オヤジを非難し、

10代も後半になると、まともに話もしなくなった。

 

そんなダメな息子だったのに、

どのあたりが自慢だったんだ。。。ホントに。。。

 

ミヤモト家具をやり始めたらやり始めたで、

潰れかけのタンス屋の、返す当てもない借金だけを背負わされ、

本気でオヤジを含む家族を恨んだこともあったし、

なんで自分ばかりがこんな思いをしなきゃならないんだと、

未熟過ぎた私は当時、

「自分の為」

ただただそれだけに、ゆがんだ感情を持ち続けたまま、

2000年代を通り過ぎてしまった。

 

 

たまに、

今、自分が、「株式会社ミヤモト家具」という会社をしていることを、

天国のオヤジはどう思ってるんだろうな?と、思う時がある。

 

「なんでお前タンス屋やめたんだ!」

 

とか、

 

「なんで形態を変えてまで会社を起こしたんだ!」

 

なんて思ってるかもしれないしね。

 

でも、

 

ひとつだけ間違いなく確信出来ることがある。

 

仮にそう言いながらも、生きていさえすれば、

なんだかんだ。

オヤジは私を応援してくれたと思う。

きっと、

 

 

「とよあき、お前、よく頑張ったな」

 

 

って、多分、言ってくれたんじゃないかな。

 

なんとなくですが、

 

そう思います。

 

 

志半ばで亡くなったオヤジと、

宮本タンス店創業者の爺さん婆さん。

我々の前身は、

個人商店出身の、言うならよくある町のタンス屋さん。

 

形態は随分変わったけどね。

この親子三人と、当時。

爺さん兄弟が、それぞれでタンス屋を営んでいた時代があった。

そんな、皆の想いを受け継ぎ、

今もミヤモト家具は元気に存在している。

 

我々は前身宮本タンス店の最後の砦として、

当時掲げた地域密着、顧客密着の精神を、

必ず完成形に導いて行かねばならないという使命があると思う。

 

 

ちなみに、

自分ひとりでするつもりはないけどね。

私には、大切な仲間が大勢いるから。

この使命は、

 

 

 

2017 10月 ミヤモト家具内定者懇親会 1

 

 

 

我々がオヤジの無念と共に、必ず晴らしてみせたいと思います!(ー_ー)!!

 

地域の皆様から愛され、応援して頂けるような、

 

 

 

前身宮本タンス店!個人商店の星になる!宮本鉄平

 

 

 

そんな社会で必要とされる企業を目指しまして・・・

 

オヤジ。。。チャンと見ててくれよ。。。

 

それからあの日あの時。

どうしようもない自分のコトを、

「自慢の息子」だって言ってくれて、

今更何も出来ないけど、

 

本当にありがとう。。。

 

 

 

爺さんから受け継ぐことなく亡くなった、

前身宮本タンス店の、

幻の二代目。

そして実は私の、偉大なる父さん。

 

 

 

前身宮本タンス店 宮本辰彦 2

 

 

 

宮本 辰彦

享年46歳。

 

彼もまた、私の、“大切なヒト”である(*^-^*)

 

 

 

 

株式会社ミヤモト家具

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SOLID FURNITURE STORE

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代表取締役  宮本  豊彰

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PROFILE
  • 株式会社ミヤモト家具代表取締役 宮本 豊彰
  • ミヤモト家具ホールディングス(株)、(株)Vintage Factoryの代表取締役であり創業者。オリジナルブランド【AF Lusty Road】のディレクター。国産家具ブランド【SOLID】及び【RENSEY】の立ち上げに、共同創業者として携わり、パートナーショップを全国に展開。(株)ミヤモト家具の代表取締役も歴任し、幼い頃に亡くした父親と祖父母を想い、家族で営んでいた【宮本タンス店】を、自身集大成のインテリアショップとして復活すべく、52歳で跡継ぎになる事を目指した実業家。座右の銘は【情熱は伝染する】。現在48歳3児の父。

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