こんばんわ。オーナーの宮本です(*^-^*)
最近、とても嬉しい出来事がありまして・・・
ここ数年、愚直に筋トレを欠かさず続けてまいりましたワタクシは・・・
先日、遂に!20代前半の頃の体型を完全に取り戻し、
あの頃と同じく、
ベンチプレスにおいて、110㎏を持ち上げられるようになった!(^O^)/わ~い!
食事にも気を付けるようになった甲斐もありまして、
体脂肪率もミルミルうちに減り続け・・・
トドメに!セクシーフィットネス・ユウジを師匠に迎えたワタクシは(←当然勝手にYouTubeより師匠に任命!( ̄▽ ̄)!)
日々の筋トレに「バックラウンジ」を取り入れまして!( ̄▽ ̄)!←よう見つけたな~この師匠!( ̄▽ ̄)!
今となっては、うちの父ちゃんの年齢を遥か超えた47歳になった今・・・
ソフトバンクの周東選手より・・・
ワシのほうが速く走れるんじゃないか?とすら思っておる次第です!( ̄▽ ̄)!←割と本気!( ̄▽ ̄)!笑
最近は、老いの限界について書かれた文章を、ネットでよく見かけることが増えました。
私の親父が死んだ10代も後半の頃。
しいては本格的に社会人になった20代も前半の頃は、
40代のオジサンて、相当歳もとってるし、だいぶオトナだよな~~と思っていましたが、
いざ自分が40代になってみると、気付かされることが2つもあります。
まず1つ目に・・・
40代なんて全然まだ子供だな・・・( ̄▽ ̄)
と思ったコトがひとつ←変態!笑
これ、ネタじゃなく思っているのですが、
例えば、わたくし息子が数人おるのですが、
息子の教育の為に、人生掛けているような父親に出くわす度に、
なんのこっちゃ?( ̄▽ ̄)?
と思えてならないのですが・・・
そもそもワタクシが未だ、ミヤモト家具の仲間と共に、
叶えたい夢でいっぱいなのにも関わらず・・・
なんで息子の勉強をみたり、
習い事の送り迎えなんてせなアカンのよ!( ̄▽ ̄)!
と思えてならない性分です!( ̄▽ ̄)!←変人であることは自覚しております。
私に言わせれば・・・
そんなコトは息子は息子で何をするにも自分の為なわけですし、
自分の人生なんですから、
必要ならお金だけ出してやるから勝手に自由にやってくれ!( ̄▽ ̄)!
と思っております。(誤解の無いように言っておきますが、私は息子を愛しております)
それから40代になって気付いた事の2つ目ですが・・・
これは努力次第という所もあるのでしょうが・・・
体力の衰えも感じない!( ̄▽ ̄)!←変態!笑
と言うことです(笑)
たぶん、今現在、もしも仮に、私の目の前に・・・
こんなどうしようもない、20代は前半の頃の私が現れようものなら・・・
まんじ固めからの・・・
バックドロップをお見舞いし、
ものの一瞬でKOしてやるに違いない。。。←意味不明!( ̄▽ ̄)!
ただ、そんな私も当然に知っています。
老いの限界を口にはしていないけれども、(悪い意味で)限界を体現している人。
自分が年を取って変わってしまったこと。
変わっていけなくなってしまったことに、無自覚のまま活動し続け、
晩節を汚し続けている人もいる。
それらを踏まえたうえで、今はまだ、そんな人達から見て。
まだ少し年下の私は何をすべきなのか?
きょうは、それを解決するブログを書きたいと思う。
今、私のなかで一番優勢な気持ちは・・・
「絶望する暇があるなら、心を、身体を動かせ」だ。
40代の残りの時間、それと50代前半の残りの時間を、
ラストランのつもりで力いっぱい駆け抜けてみたい。
40代の後半という境遇は、これもこれで面白い境遇だと私は感じている。
生物学的にはかなり年を取っているし、それなりに白髪も増えた。
仕事以外の娯楽やエンタメには、
思春期の頃に比べ、そもそも興味も無くなり、疎くもなった。
毎日本を読む事も日課にしている私は、視力に関しても、だいぶ衰えたコトも知っている。
そのかわり、この年齢になったからこそ見えてきたこと・わかってきたこともたくさんある。
40代という残りの時間が、死んだ魚のような目をしているオトナになるなんて、
強がりでも何でもなく、私にはまったく想像もつかない。
だとしたらだ。
私に残された幾らかの時間を、余力を、全力で生き切ってみたいと思うようになった。
仲間と共に働く時間にしても、
息子とゲームやアニメに親しむにしても、
誰かと会って、楽しみをシェアするにしても、
今のようにそれができる残り時間・残りの回数はそれほど多くなく、
ひとつずつの機会を、噛みしめるように大切にしたい。
そして・・・
自分自身の伸びしろなんてたかが知れていると、仮にみなしたうえで、
今、できることに、力いっぱい取り組んでみたい。
平均余命という考え方でみる人は、私の想定を大げさで、
また早合点で、生き急ぎ過ぎだ!と、見る人もいるかもしれない。
しかし年上の人々の述懐や境遇をみるに、
60歳より先のトライアルは余生とみておくべきだし、
そうでなくても人生の一寸先は闇である。
平均余命に基づいたタイムリミットの当て推量など、
私はあてにしないのだ。
案外、明日か明後日には私は力尽きているかもしれない。
だとしても、いや、だからこそ、今を駆け抜けなければならないのだ。
実は今年になって、弊社メインバンクの 経営者の会において、
今現在においては到底身の丈に合っていない、
「会長」という役に任命いただき、昨日がたまたまその会の集まりだった。
富山の経済界を支えた大物と言われる、
朝日印刷の朝日重剛会長や、
河上金物の河上弥一郎会長と話しをする、貴重な機会が与えられ、
これ。たまたまだったのですが、
私が挨拶に伺うと、
「君のお父さんと高校の同級生だったんだ」
と、数名の会長職の方から言われた。
歳を聞くと74歳。
「本当に、あの時の‟たっちゃん”(親父)の息子なのか?」
「テレビで見たよ!立派になったな!たっちゃん。きっと天国で喜んでるよ!」
と涙ながらに言われながら、私の背中を何度も叩き、いろんな話を聞かせて頂いた。
私は、年上の人が語る人生の話は、
タイムマシンでやってきた未来人の言葉として受け取ることにしている。
朝日会長や河上会長の言葉も、毎度の如く、そのように受け取った。
お二人とも、第一線からは既に退いてはいるものの、
私には予想もしなかった「勇気」を頂けた。
これからも歳を重ねること。
またきっと私にも、老いの限界がいつかやって来るからといって、悲観的にはなることはない。
むしろ逆だ。
私には、共に夢を、大目的を叶えようとする、沢山の仲間がいる。
人生を徹底的に生ききってやる!と誓う限りにおいて、
どんな時間も、どんな年齢も、それは一度きりの、
かけがえないものだと、昨日のお二方の話を通して、私は再認識した。
私は、川を遡上して産卵する鮭のような・・・
そんな全力疾走の中年として、今を生きたいと思う。
本日は、
「全力疾走の中年の話」
と題してお送りさせていただきました。
きょうも最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
明日も皆様にとって、笑顔溢れる、最高の1日になるコトを願いまして。
それでは皆さま
きょうも笑顔で
ごきげんよう(*^-^*)
株式会社ミヤモト家具
https://www.miyamoto-kagu.net/corp/
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
https://www.miyamoto-kagu.net
Interior Proshop LOWVE
https://www.kagu-lowve.jp
SOLID FURNITURE STORE TOYAMA
https://www.solid-furniture.jp
SOLID FURNITURE STORE KANAZAWA
https://kanazawa.solid-furniture.jp/
Vintage Factory
https://www.vintagefactory.jp
RENSEY金澤本店
https://rensey.jp
ミヤモト家具ホールディングス株式会社
代表取締役 宮本 豊彰